支配なき公共性――デリダ・灰・複数性
梅木達郎
支配なき公共性――デリダ・灰・複数性
発行元 : 洛北出版
四六判 ・ 上製 ・ 304頁
2005年3月発行
ISBN 4-903127-01-X
本体価格 2,600円

* 冊子付
「栞――『支配なき公共性』に寄せて」
【冊子執筆者】
鵜飼 哲、熊野純彦、森本浩一、宮崎裕助、山崎冬太
(五十音順)
〈脱構築以後〉の政治的思考とはいかなるものか? 〈存在の複数性〉はどのように思考することができるのか?
デリダ、アーレント、ハイデガー、ジュネ、ドゥギー、セリーヌたちとの対話を通じて〈来たるべき民主主義〉を考察する。

(本書より抜粋)「わたしは人を支配したくない、わたしは人に支配されたくない――デリダはいつもそう言っていたように思われる。その最後となってしまったセミネールの数々において、デリダはくりかえし「主権」について、力の支配の問題について論じていた。正義は力の共犯なしにはありえない。だがそのとき、正義は正義でなくなってしまう。デモクラシーは「クラシー」(力/支配)抜きにはなにものでもない。つまり、主権や支配の問題なしに、政治を語ることはできない。

支配の問題を導入せざるをえないのだが、それでもなお、支配を解体したり、それに抵抗する余地を残しておくこと、それが「政治的なもの」をめぐるデリダの言説の根幹にある問題である。だれからも支配されず、だれをも支配しない人びとの共存を、「民衆の支配」のもとにもたらすこと、それが「来るべきデモクラシー」の課題である。ただ、そうしたものはいまだかつて存在したことはなく、「来るべきもの」にとどまっている。

「支配」の問題は日々の実践についてまわる。したがって、人が眠り込んでしまう時にも覚醒していなければならない、これが脱構築の教えである。デリダ亡き後、われわれの眠りを安心して預けておくことができる人はもういない。われわれは、われわれ自身で、休息もなく、夜も眠らずに見張っていなければならない。それをする準備ができているだろうか。これからはわれわれの番なのだ。この責任を引き受けていくためにも、たぐいまれなテクストの読み手としてのデリダの姿をここに喚起してみたい。というのも、デリダはテクスト読解を支配の問題と無縁のものとは見ていなかったからである。」(141-142頁より)
『支配なき公共性――デリダ・灰・複数性』





『支配なき公共性――デリダ・灰・複数性』
目次

第Ⅰ部―――

崇高論をめぐって――弁証法から誇張法へ
カントあるいは境界のトポス/ロンギノスあるいは誇張する言葉

喪をめぐる省察――ミッシェル・ドゥギー『尽き果てることなきものへ』
哀悼する言葉/世界を悼む言葉/超越の場なき不均衡/終わりなき終わりに

灰を読むジャック・デリダ
否定の解読/灰――回帰せぬものの記号/灰の一般性――痕跡の構造/灰のチャンス――喪失と保持のダブルバインド/灰の名/テクストの灰・灰のテクスト/終わりなき脱構築

テクストを支配しないために――ジャック・デリダに
テクストを支配しない/支配をかいくぐるエクリチュール


第Ⅱ部―――

国家・無縁・避難都市
統合という名の排除/避難都市と無縁/再び一九九八年七月一二日

なしくずしの共同体――集団の言説の誕生
家族共同体の危機――蚤の市の挿話/ポスト崇高の共同体/クールシアルの明かしえぬ共同体/結びにかえて――反ユダヤ主義的言説の誕生

夢みるパレスチナ――ジャン・ジュネ『恋する虜』から
二つのポエジー――カードのないカードゲーム/境界線上のマキアヴェリズム/唯一なるものの分割――ハムザと母

輝ける複数性――ハイデガーからアーレントへ
いかにして判断せずにいられようか?/特異性から普遍性へ/没関心性と公共性/美学と政治/単独者と複数性/脱構築と公共性ふたたび
『支配なき公共性――デリダ・灰・複数性』
本書の中身

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著者紹介

梅木 達郎 [うめき・たつろう] UMEKI Tatsuro

1957―2005年。東北大学大学院文学研究科博士後期課程(フランス語フランス文学専攻)単位取得満期退学,1993年より東北大学大学院国際文化研究科助教授。専門はフランス現代文学・現代思想。主要著作に,『放浪文学論――ジャン・ジュネの余白に』(東北大学出版会),『脱構築と公共性』(松籟社),『セリーヌを読む』(共著,国書刊行会),主要翻訳に,ドゥギー他『崇高とは何か』(法政大学出版局),ミッシェル・ドゥギー『尽き果てることなきものへ』(松籟社),L-F・セリーヌ『ノルマンス』(国書刊行会),ジャック・デリダ『火ここになき灰』(松籟社)などがある。
編集者より

本書は梅木達郎氏の急逝後に編纂された書物である。したがって書物として刊行することに梅木氏の同意を得ていない。わたしたちは、梅木氏の幅広く数多い発表物のなかからいくつかを選んで編纂し、タイトルを付けた。各論考は誤植と不統一をただす以上の手を加えていない。
本書刊行のご許可をいただきました梅木瑞恵様に深く感謝いたします。また転載を快諾された各出版社にもお礼申し上げます。そして、論文の選定と校正、タイトルの検討などに多大なお力添えをいただきました早尾貴紀、宮﨑裕助、清水一浩の各氏、各論文のテキストデータの作成などに多大なお力添えをいただきました阿部博子、遠藤智昭、水島和則、李恵慶の各氏にも深く感謝いたします。とりわけ早尾氏には本書の企画から本文の校正にいたるまでご尽力をいただきました。
刊行の動機が梅木氏の関係者の個人的な事情だけならば、本書をわざわざ見知らぬ読者に向けて市場で流通させる必要はないだろう。梅木氏の仕事の重要性を知っていただくことによって、「だれも支配せずだれからも支配されない世界」を「もっと別の声」が語り継がないともかぎらないと考え、これからの読者に向けて本書を送り出すことにした。(二〇〇五年七月七日 洛北出版 竹中尚史)
関連情報

梅木達郎の翻訳による、ジャック・デリダ『火ここになき灰』をもとに、演劇・ダンスが上演された。
◆ 「火ここになき灰」芥 正彦、新井純による上演、2004年9月、ライブハウス・コレド於
◆ 「そこに 灰がある」演劇ユニットLensによる上演(佐藤照、渡部美保・出演)、2005年10月、演劇祭2005・仙台ON/OF於
◆ 「パンタナル」モレキュラーシアターによる上演(豊島重之・構成・演出)、2006年9月、八戸市公会堂於

◇ また、『PANTANAL 2006』〔ICANOF発行、2006年〕所収のベケットをめぐるコロックの記録もご参照ください。(「今ほど哀悼の言葉が困難な時代はない」吉増剛造・鵜飼 哲・八角聡仁・豊島重之、「収容所のアノマリー/名づけえぬもの=ベケット」宇野邦一・田尻芳樹・鴻 英良・鵜飼 哲・豊島重之)

◇ また、『フランス文学研究』〔第26号、2006年、東北大学フランス語フランス文学会紀要〕は「追悼号」となっています。(伊地智均、齊藤征雄、大谷尚文、Liliane Papin、阿部宏慈、小野潮、森本浩一、山崎冬太、阿部宏、泉谷安規による追悼文が掲載)
書評

◆ 「週刊 読書人」2005年9月23日号 宇野邦一氏による書評
◆ 「未来」2005年11月号 逸見龍生氏による書評
◆ 「図書新聞」2005年10月15日号 桑田禮彰氏による書評

◇ 「フランス文学研究」(東北大学フランス語フランス文学会)第26号「梅木達郎先生追悼号」(2006年)
◇ 2006年度 早稲田大学商学部入試問題として出題される。
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