抵抗の場へ――あらゆる境界を越えるために マサオ・ミヨシ自らを語る
マサオ・ミヨシ × 吉本光宏
抵抗の場へ
――あらゆる境界を越えるために
マサオ・ミヨシ自らを語る
発行元 : 洛北出版
四六判 ・ 上製 ・ 384頁
2007年4月刊行
ISBN 978-4-903127-05-7
定価(本体価格) 2,800円
目次

第T部 疑わしき起源

第1章 戦争中の自殺と袋叩き
一枚の写真の記憶
最初のパーバーシティ

第2章 戦争中に英語への関心を抱く
英語への関心
英文学という問題

第3章 アメリカの自由と反動との奇妙な闘い
アメリカに学び、日本に帰り、「戦争花嫁」としてアメリカに帰る

第4章 アメリカで英文学を教える初めての日本人としてバークレーに行く
アメリカで英文学教授となる
ある不安感と日本人であることの経験

第5章 バークレーでチョムスキーと出会う
変化が始まる――「私は正しいことをしているのか」
今度こそ戦争の真実を解明しなければならない、欺かれてはならない

第U部 戦争と抵抗

第6章 最初の戦争体験
嫌悪感に始まる
スタイルとしての抵抗

第7章 戦後民主主義、新憲法、戦争責任問題
戦争経験を考える
何も信じられるものがなかった
天皇と憲法

第8章 五〇年代そしてベトナム戦争と六〇年代
ほとんど理解されていない五〇年代という時代
ベトナム戦争反対運動
「この戦争は誤っている。だから我々は反対すべきだ」――バークレーでの抵抗運動

第9章 戦争経験を意識し続ける
何が根本的に変わって、何が変わらなかったのか
ベトナムとイラクの違い
経済が問題の本質
戦争にはいったい誰が行くのか

第10章 ニヒリズムを超えて生き延びる
ニヒリズムとパーバースの違い
谷崎潤一郎のパーバースとオリエンタリズム
抵抗の場画像
第V部 絶えざる移動と批判

第11章 知識を考える者としての選択から文学を捨てる
国民国家の概念によって構築された文学は死んだ
歴史も文学と同様に構築されたものである

第12章 沈黙する日本
再び日本と接する
批評は無視される
対話を維持できるか
『沈黙の共犯者』と三島由紀夫

第13章 どこから来たのではなく、どこに行くのか――サイードとの議論を通して
『我ら見しままに』の頃
サイードとの議論
普遍的知識人との訣別

第14章 学問領域という秩序との闘い
大学との抗争
エスニック研究の問題
バークレーからサンディエゴへ――新たな領域を求めて

第W部 抵抗の場へ、あらゆる境界を越えるために

第15章 地域研究という秩序の問題
『オフ・センター』と日本研究
専門化を避けるために移動する
学術的より政治的なプログラムとして会議を組織する
会議の意味は失われた
変化の予兆とは
抵抗の拠点としての大学/政治的抵抗としての学問
大学に希望はあるのか

第16章 イメージと記憶――他者との結びつきをいかに受け容れるか
映画と音楽と美術
様々な交流の日々
会議に代わる議論の場とは
建築と国家、企業
犠牲者について考える

第X部 批判の自由

第17章 それでもなぜアメリカなのか
アメリカの自由の表裏
人は自分の人生を生きる

第18章 Japan is not interesting.「日本は面白くない。」
なぜ「日本は面白くない」か
議論をすることへの関心と責任
なぜ日本では批評が非難になるのか

第19章 境界の秩序化に抵抗する
普遍主義と排他主義
なし崩しにされているのは何か
教育の本質――ケネス・バーグとの出会い

第Y部 新たなエコロジーに向かって

第20章 知の始まりとしての超学問領域
惑星主義と環境への配慮
実際に私たちには何ができて、どこに向かうのか

第21章 新たな抵抗の手段としてエコロジーを考える
「環境」という概念の誤用の危険
環境と自然の差異
希望がないところから生まれる希望
不動産環境保全価値維持主義との訣別

第22章 知識人ではなく単に人間として抵抗するために
「我々日本人」という国民国家を解体する
批評とは抵抗である――知識人という問題

新たな批評空間をめざして(あとがき) 吉本光宏

英文目次
索 引
『抵抗の場へ』
本書のなりたち

本書は、吉本光宏と編集者の前田晃一が2005年6月12日から14日の3日間にわたって、米国サンディエゴにあるミヨシ氏の自宅に伺いおこなったインタビューにもとづいている。しかし、もともとの出発点は2004年の春、ニューヨーク大学でミヨシ氏を基調講演者として開催した国際会議にまでさかのぼる。会議でのミヨシ氏の講演や討論について短いエッセイを日本語で発表する機会はあったものの、そうした紹介記事だけでは満足できないでいた吉本と、会議でのミヨシ氏の強烈な存在感に圧倒され、それがどこから生まれてくるものなのかをもっと探ってみたいという前田の思いが一致し、ニューヨークと東京を互いに何度も往復しながら、本の出版へ向けての共同作業が進められた。
インタビューのあいだ、吉本とミヨシ氏の会話はすべて英語でおこなわれたが、前田のミヨシ氏への日本語による補足的質問については英語と日本語を交えて答えていただいた。前田が録音したテープの起こしを担当したのは比較文学研究者の齋藤聖美。齋藤はほぼ同時進行で英語から日本語への翻訳も完成させる。出来上がった草稿を前田が大幅に再構成し吉本が校正した「オリジナル」原稿に対して、ミヨシ氏と吉本が英語ではなく直接日本語でさらに加筆・修正して完成したのがこの本である。 (吉本光宏)
『抵抗の場へ』





『抵抗の場へ』





『抵抗の場へ』
著者紹介

マサオ・ミヨシ Masao Miyoshi

1928年生。(旧制)第一高等学校、東京大学文学部 英文科卒業。戦後、アメリカに渡りニューヨーク大学で英文学博士号取得。カリフォルニア大学バークレー校で24年間英文学教授、その後、同大学サンディエゴ校で英文学、比較文学、日本文学教授を17年間勤務。その間、シカゴ大学、ハーヴァード大学客員教授を兼任。

主な著書に
The Divided Self : A Perspective on the Literature of the Victorians, New York University Press and London University Press, 1969.
Accomplices of Silence : The Modern Japanese Novel, University of California Press, 1975; 2nd ed., The University of Michigan, 1996.
As We Saw Them : The First Japanese Embassy to the United States (1860), University of California Press, 1979; 2nd ed., Kodansha International, 1994; 3rd ed., Paul Dry Books, 2005.〔邦訳『我ら見しままに――万延元年遣米使節の旅路』佳知晃子監訳・飯野正子・高村宏子・篠田左多江・今井輝子訳、平凡社、1984年〕
Off Center : Power and Culture Relations between Japan and the United States, Harvard University Press, 1991.〔邦訳『オフ・センター――日米摩擦の権力・文化構造』佐復秀樹訳、平凡社、1996年〕など。

編著として
Women's Short Storiesd in Japan, Manoa, University of Hawaii Press, Vol. 3, Number 2 (Fall 1991).
Japan in the World, Duke University Press, 1993.

共編著として
Postmodernism and Japan, Co-ed., with H.D. Harootunian, Duke University Press, 1989.〔抄訳『現代思想 臨時増刊号 日本のポストモダン』青土社、1987年〕
The Cultures of Globalization, Co-ed., with Fredric Jameson, Duke University Press, 1998.
Learning Places : The Afterlives of Area Studies, Duke University Press, 2002. など。

他に日本語で読めるものとしては
「アメリカからみた日本の漱石研究」三好行雄他編『講座 夏目漱石』第五巻(有斐閣、1982年)
「母国喪失と回復と――イスラエル支配下のパレスチナ大学視察記」(『世界』1982年1月号)
「日本の小説とポストモダンの西洋」(『思想の科学』1990年、125号、中山容訳)
「此の後に来るもの――アメリカにとっての湾岸戦争」(『世界』1991年7月号)
「相違と異議と思索――日米政治文化関係をめぐって」(『世界』1991年12月号)
「国境なき世界?――植民地主義から他国籍主義への動きと国民国家の衰退」(「批評空間」1994年、II-1号、関根雅美訳)
「時間、空間の圧縮――新植民地主義と建築の様相」(『文学』1997年春号)
「冷戦後における境界の秩序化について」(『批評空間』1998年、II-17号、遠藤克彦訳)
「売却済みの象牙の塔――グローバリズムのなかの大学」(『現代思想』2000年9月号、宮田優子・清田友則訳)
「グローバリゼーションとアメリカ」(小田隆裕他編『現代のアメリカ』大修館書店、2004年)、などがある。


吉本光宏 (よしもと・みつひろ) YOSHIMOTO Mitsuhiro

1961年生。ニューヨーク大学東アジア学科准教授。著書・論文にKurosawa : Film Studies and Japanese Cinema (Duke University Press, 2000), "National/International/Transnational : The Concept of Trans-Asian Cinema and the Cultural Politics of Film Criticism", in Paul Willemen and Valentina Vitali, eds., Theorising National Cinema (British Film Institute, 2006)など。ハリウッドと資本・スペクタクル・暴力に関する本が以文社から近刊予定。

*   *   *   *

齋藤聖美 (さいとう・さとみ) SAITO Satomi
1964年生。アイオワ大学大学院映画比較文学研究科博士課程。専門は批評理論、映画・文化研究。論文に、「視線のポストモダン――症候としての探偵小説」(『英米文学』第54号、1994年)、「探偵という原風景――「盗まれた手紙」の構造分析」(『アメリカ研究シリーズ』第19号、1997年)、「日本映画研究の可能性に向けて」(『境界を越えて――比較文明学の現在』第4号、2004年)など。

前田晃一 (まえだ・こういち) MAEDA Koichi
1970年生。青土社『ユリイカ』編集部を経て翻訳家・編集者。「いま、小津安二郎を「発見」する」(『世界』2004年1月号)、「黒沢清の慎み深さが世界の法則を回復する」(『文學界』2006年10月号)など。翻訳にフェリックス・ガタリ著『闘走機械』(杉村昌昭監訳、松籟社、1996年)など。
関連書

◆ マサオ・ミヨシ著『我ら見しままに――万延元年遣米使節の旅路』〔佳知晃子監訳・飯野正子・高村宏子・篠田左多江・今井輝子訳、平凡社、1984年〕
◆ 同著『オフ・センター――日米摩擦の権力・文化構造』〔佐復秀樹訳、平凡社、1996年〕
◆ エドワード・サイード『知識人とは何か』〔大橋洋一訳、平凡社、1995年〕
◆ ノーム・チョムスキー『知識人の責任』〔清水知子・野々村文宏・浅見克彦訳、青弓社、2006年〕
◆ デヴィッド・ハーヴェイ『ニュー・インペリアリズム』〔本橋哲也訳、青木書店、2005年〕
◆ フレデリック・ジェイムスン『カルチュラル・ターン』〔合庭惇・秦邦生・河野真太郎訳、作品社、2006年〕
◆ G.C. スピヴァク『ある学問の死――惑星的思考と新しい比較文学』〔上村忠男・鈴木聡訳、みすず書房、2004年〕
書評

「朝日新聞」2007年4月15日朝刊 読書面 柄谷行人氏による書評
◆ 「英語青年」(研究社)2007年8月号 齋藤一氏による書評
◆ 「書標」(ジュンク堂書店)2007年5月号 福嶋聡氏による書評
◆ 「論座」2007年9月号 津島佑子氏による書評
「朝日新聞」2007年12月23日 読書面〈この一年の収穫を振り返る」、柄谷行人氏によるコメント